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心に残る良い旅を

道南いさりび鉄道沿線でなんだかキニナル看板のお話

路傍の看板

「心に残るよい旅を」と書かれた小さな看板が、北海道の、とある線路の脇にそっとありました。

(はこだてトリエンナーレ2019 公式ガイドブックより)

海沿いを行く列車で、観光客なら皆が海側を見ながらゆられているような、そんな路線なのですが、ふと山側を見ると、この看板が目に入るのです。

今日はそんな話をしましょう。

道南いさりび鉄道 泉沢駅

この看板のある駅は「簡易委託駅」といって、鉄道会社ではなく、民間に管理が委託されています。ずいぶん年月を経たように見えるこの看板、現駅長が「誰が書いたかわからない」というくらいくらい、むかしからここにありました。風の噂に「元駅長書いたのではないか」という話をきいたため、真相をたしかめに、元駅長を訪ねてみました。

元駅長、名前は山本金次郎さん。ご自宅には駅長服が飾られていました

看板についてお伺いすると
「昔の泉沢駅は3線でなく2線でした。こ線橋ができた時、横断歩道がなくなって、横断歩道の看板を使って(自分で)作ったんだ」と、元駅長の山本さん作で正解のよう。

作った時期は
「青函トンネルができたよりは後だなぁ。何年ってはっきりわからないけど。10年くらい前かなぁ?」

この泉沢駅はこの看板のほかに、季節になればいろとりどりの花が咲く、花いっぱいの駅として知られています。
方言混じりのことばを素直に書き落とすと「この駅さ、花の駅って覚えてもらえば幸せだなって」

花の駅、泉沢

看板にこめた思いは
「泉沢の駅、お客さんに、こんな駅もあるんだなって心に残ってもらえたら」とのこと。

そうして、看板は目にした人たちの心の中に、路傍に咲く一輪の花のように、そっと心に残っていたのでした。

毎年、会いにくる人

「この看板を写真に撮ってくれて、毎年誕生日に会いにきてくれる人がひとりいるんだよ。そうか、ひとりだけじゃなくて、あんたも看板に、気付いてくれたのか」
控え目にそう語ります。誕生日は7月9日。

山本さんは、実はJRのOB。五稜郭駅で助役試験を受けて、その後自宅に近い泉沢駅に、希望して転勤。
「当時JRの駅長と保線職員のための官舎があったのだけれど、(山本さんが)泉沢駅に転勤した頃に無くなった」のだそう。JR退職後、簡易委託の民間駅長に。

もともと駅長をやるのは90才までと思っていたところ、ちょうど90才のときに、この路線がJRから、第三セクタへの道南いさりび鉄道へと変わりました。
道南いさりび鉄道からも、簡易委託駅長を続けないかと頼まれたそうですが、固辞し、後進に道を譲りました。

北海道新幹線と道南いさりび鉄道の開業とともに引退

「『吉田さんってわしの上司ば推薦するから』って」

そして現駅長の吉田進さんに交代。吉田さんは山本さんと同じJRのOBで、JR時代は山本さんの上司でした。JRの会計課を経て、民間に転職後、定年を迎えたのち、泉沢の委託駅長になりました。

今は泉沢駅のそばで、ひとりゆっくりとした日々を過ごしている元駅長の山本さん。駅長時代を振り返りながらアルバムをめくります。


「金儲けは無視して、お客さんに楽しんでもらえたらって。そのために長生きしたのかもしれないな」

天に召されている妻の名前は「山本エキ」さん。結婚していなかった義父が兄の娘を養子にしていたため、旧姓津村から山本姓に婿入りしたという話など、饒舌ほどでもないのですが、言葉少ないわけでもなく、いろいろな話をきかせてくれました。

泉沢駅のそばにある自宅には、今もエキさんの写真が笑っています。

山本エキさん

「奥さんがエキだから、だから駅長やってたんだ」

最終勤務日

心に残る、地図にも残る

そんな山本さんがつくった看板が、近頃復刻したそうです。

年々風化してしまっていた看板(はこだてトリエンナーレ2019 公式ガイドブックより)

新たに制作をしたのは、吉田現駅長。

吉田さんが復刻(はこだてトリエンナーレ2019 公式ガイドブックより)

文字は山本前駅長の筆跡が、はこだてトリエンナーレの協力で、過去の写真データを用いて、再現されました。

google Mapのストリートビューで歩くと、駅にはまだ山本さんの黄色い看板が残っています。
その地図もいつの日か、吉田さんの看板に塗り替えられていくのでしょう。

思いは心に残り続けて。

心に残る良い旅を
参考サイト

はこだてトリエンナーレ 硬券エピソード
https://shinhakodate.com/2019/news/making/koken2/
はこだてトリエンナーレガイドブック
http://kino.shopselect.net/