夕張支線南清水沢駅、駅長と最後の一日
南清水沢駅の名物女性駅長
3月31日、新夕張から夕張を結ぶ夕張支線が廃線になった。
全長、16.1km。駅は6つ。
その日、夕張に向かった。
この人に会うために。
駅長といってもJRの職員ではない。簡易委託といわれる形態で、町の人が切符の販売のみを簡易的におこなっていた。
ここで16年間「駅長」を務めた人だ。
これまでも何回か言葉を交わしたことがあったが、その人柄をどういえばいいだろう。
太陽のような、というといいすぎかもしれないが、おっかさんといった感じの、地に着いた笑顔と、自由でユニークな気遣いを見せる人だ。
南清水沢駅に到着
10時17分のJRで駅に着いた。
駅長は駅を留守にしており、切符売り場には男性が座っていた。
それでも、最終日を見守るファンたちは、今日の日付の切符を買いに、ひっきりなしに訪れていた。
10時50分、夕張駅から帰ってきた村上駅長が現れる。
「もうすごい人!夕張駅、地獄ね・・・。ここは天国!」
そんな名言をさらりと量産する駅長。
切符を買う列に並んで、購入。今日の記念にサインを頼んだ。
お菓子は、南清水沢駅名物。切符を買うと、もらえたり、もらえなかったりする。今日は駅にいるだけでもらえた。
最終日に、多くのファンたちが乗る列車、駅の発着を見守るための、手作りのうちわ。
数日前からファンの人に声をかけて、最終日仮装する仲間を募っていたという。衣装は全部彼女の自前で、テーマは、若干謎だが、昭和風とか漁師風とか、
「うちわ、持っていって!!」
冬は駅のストーブで、ぽかぽか。
「1枚だけ私の駅って書いちゃったの。16年も駅長やってるんだもの、いいでしょう」
仲間はひとり、またひとりと増えて
そうこうしていると私も仲間に入れていただき
次の列車がやってくる。
線路、安全祈願
「あなたお酒飲める?」と駅長にきかれてうなずくと、
「最後まで無事に走ってほしいからレールにお酒かけましょう」
最後の一日なのだけれど、思い出すのは笑顔ばかり。村上さん以外はみんな今日初めて会った人たち。
駅と、彼女がつないだ、縁。
旅立つ時間が訪れて、駅を去る仲間は、涙していたけれど
旅の中の出会いって、手を振って別れること。
「私は列車はお母さんの胎内だと思う。
汽笛が鳴って、カタンカタン、って。
だから眠くなるの。
バスだとこうはいかないでしょう?」
16年間、いろいろな人との出会いがあった。
人だけでなく「またたきもしないで駅で、鹿と喧嘩した日もあったわね」
飼っていたチャボたちを、駅に連れてきていた日々もあった。
「列車がくるとね、『白線のうしろにさがってください。この駅には白線ないけど』っていうの。そうすると、みんな笑うの」
そして最終運行
最終列車は南清水沢駅で見送ろうと決めていたが、途中、南清水沢をすこし抜けて夕張駅でのセレモニーに寄った。
廃線判断に関わったであろう人たちに、他意なくカメラが向けられる。
日が落ちて、もうすぐ最終列車。
そんなころに、廃線をきめた元夕張市長の鈴木氏の、北海道知事立候補の選挙カーが、線路と平行する道路上で、名前を告げながら走っていった。
平和すぎる時代だ。何もこんな時間に。
やるせない思いを抱えた人だって、今日ここに、たくさんたくさん訪れているのだろうに。
出会った人たちにはただ感謝ばかりだけれど。ただ「ありがとう」だけでは、JR北海道の支線の廃線は、今後も止められらないだろう。
これから、何ができるだろう、何をすればいいだろう。
19時43分、すべての列車の運行を終えた。
今日村上駅長さんをささえて切符売り場にたっていた甥っ子(?)さんが、最後の感謝をこめてお酒をレールにそそぐ。
21時半すぎ、駅名がおろされ、幕が下りる。
すべての時間が閉じてゆく。
線路は、続く
運行終了後も、切符は今日一日まだ売っていいからと、記念で切符を買う人に、気軽に応じてくれた。
明日を、押してもらった。
一夜明けた。
まだ雪があって、まだ線路がある。